80年代夕張75・萩原吉太郎邸にて

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1982年・東京の萩原邸で

もう30年近く前になるが、夕張新炭鉱の閉山阻止の運動として、遺族が上京した。
そして、旧通産省前での座り込みや萩原邸を訪れた。
その時は私はまだ学生だった。
授業の合い間をぬって、いや正直に言えば授業をさぼって、遺族に同行した。
写真は、北炭元会長の萩原邸に到着した遺族。悲しみをこらえて閉山阻止を訴えた。
その日はあいにくの天気で、雨にぬれながら写真を撮ったことを昨日ように思い出す。
残念ながら写真の遺族の消息はわからないが、この夏の慰霊祭で、東京行動に参加した遺族の一人に出会った。約30年たち、渡せずにいた写真を渡す約束をすることができた。
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by ysnowy | 2011-08-27 12:07 | 80年代夕張 | Trackback | Comments(2)
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Commented by 猫おやじ at 2011-08-27 22:01 x
会社の責任は、経営者の責任。遺族の気持ちは、痛いほど理解できますが、経営者の家にいっても、どうにもならないような気がします。500円台で40000株買った、コンサル会社。新規事業がことごとく失敗して、この1年ずっと株価が1円。たまらず総会で、新役員の人たちに、抱負をたずねたら、みなさん誠意をもって回答してくれた。しかし、まだ株価は10円。責任は、誰が、どれくらい負うものなんでしょうか?しかし報酬たった1円で、よく取締役になられるか、経営の素人には、想像もつきません。
Commented by ysnowy at 2011-08-28 08:29
猫おやじさん
萩原吉太郎は北炭のドンです。このとき北炭は退職金の未払いも多くあり、退職者や事故の遺族の協力も得て闘争していました。
結果的には新鉱は閉山しましたが、全額ではありませんが未払いの退職金を得る事ができました。遺族までが行ったことは大きかったと私は思います。
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