巨幹残栄・崎戸炭鉱

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1995年撮影

一に高島、二に端島、三で崎戸の鬼ガ島。
三つとも離島ゆえに、脱出するのが困難であったためだという。
これらの離島の炭鉱はどれも絶景だった。
中でも崎戸炭鉱の風景は素晴らしいかった。
都心であれば億ションだろう。そんな社宅が空家となり建っていた。
当時、小倉に住んでいた私は、休日よく崎戸を訪れた。
写真の場所は、特に夕日が美しかった。
現在は解体され今はないという。
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by ysnowy | 2011-09-29 10:55 | 炭鉱 | Trackback | Comments(4)
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Commented by 猫おやじ at 2011-09-29 14:03 x
三菱のヤマだったんですね。この炭鉱遺構のDVDも「萌の季節」というタイトルで市販されていることを知り、びっくりしました。作品の空の雲が熱帯低気圧のような並び方で、島に屹立する集合住宅に命を与えていますね。小倉から通われたのですか。とても日帰りは無理のようですが。小学生のころ家を5時に出て東上線と秩父鉄道を乗りついで終点まで。10時31分発の将棋のこまのような中型バスで日窒鉱山まで。20分するとバスは出発するので、20分だけ大黒坑の「ずり」を、ひたすら割ってから、また元の道程で帰ったものです。もう50年も前のことになります。鉄道運賃が往復310円でした。
Commented by ysnowy at 2011-09-29 20:49
猫おやじさん
日帰りは可能でした。
撮影は日が傾く頃がよかったので、帰りはいつも夜でした。
Commented by 蠣ノ浦 忍 at 2011-11-04 18:25 x
この炭住(アパート)2棟が最後の建築でしたね。左手に続いて2~3棟は建築できるように造成されていました。カメラアングルの場所には4棟のアパートがあり両アパートの子供らが2チームに分かれてそのスペースでソフトボールの試合をしているのが常態化(日常)でした。右手上部に平戸、左手に上五島、小立島、大立島、御床島の被写体ですね。夕日が海下に落ちる時アパートの壁面が真っ赤に染まりました。今でも子供たちの歓声が聞こえてきそうです。by 昔の子供
Commented by ysnowy at 2011-11-04 23:37
蠣ノ浦 忍 さん
書き込みありがとうございます。
崎戸炭鉱は絶景の炭鉱でしたね。
ここのアパートの屋上からの夕日はきれいでした。
忘れられません。
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