夕張104・鹿の谷小学校解体

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10月15日撮影
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今年6月撮影

北炭の幹部社宅が近くにあり、幹部の子供たちが通ったことから、「北炭の学習院」と言われた鹿の谷小学校が解体されました。
昨年は青陵小学校が解体され、今年は鹿の谷小学校です。
夕張から炭鉱の面影がまた一つ消えました。
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by ysnowy | 2011-10-22 11:07 | 夕張 | Trackback | Comments(6)
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Commented by 猫おやじ at 2011-10-22 20:11 x
学校の解体。なにか利用する方法は、ないものでしょうか。もったいない気がします。家のテレビは地デジ拒否なので、家人のところへ出かけて4chの被災地ドキュメントを見ました。愛玩動物たちが悲惨でした。罪深いのは、やはり人間ですね。立派な小学校もでていました。交付金で豪華なものを建てて、結局、解体されるとしたら・・・悲しいものがあります。
Commented by 文子 at 2011-10-22 21:29 x
朽ち果てていく建造物をそのまま放置するのも問題があるのかもしれません。
しかし、柔軟な考えを持ち、なにか活かせる方法を考えていくのも必要と考えます。
壊すのは一瞬です。簡単です。しかし、
そこに生きた人間の魂は永遠です。
若い市長さん。手に負えなければ、大勢の人間の知恵を借りればいいのです。
悲しい現実でしょうが、30歳そこそこの人には
夕張に生きた人の気持ちは、絶対に理解できない。できるはずがない。
それどころじゃないのは知ってますが・・・
Commented by ysnowy at 2011-10-22 23:35
猫おやじさん
どんなに古い校舎でも使用されていればいいのですが、一度使われなくなるとすぐに痛みます。
残念ですが、今となっては仕方ないかもしれません。
Commented by ysnowy at 2011-10-22 23:50
文子さん
文子さんの気持ちは、私は理解できます。
なぜこのような状態に校舎をしてしまったのか?。
そのことは、若い現市長より前の市長時代にアイデアを出さなかった事が原因だと思います。
このような状態の校舎をどうするかはかなり難しいと思います。
11月に私が写真展を行う美唄市のアルテピァッア美唄は、廃校となった木造校舎を利用したギャラリーです。
もっと早ければいろんな利用方法もあったと思います。
本当に残念ですし、卒業生のことを思うと悲しいですね。
Commented by さと at 2011-10-24 22:55 x
6年間通った思い出いっぱいの小学校でした。
夕張時代、何も考えず、ただただ楽しい思い出でいっぱい。
誕生会をしたり、ピアノを弾いたり、日曜学校(教会)で、色々学んだり、電信山でのスキー大会、二股峠を越えた遠足、すべて、鹿の谷小学校時代、エントランスそばにあった百葉箱で、毎日温度を測り、、遅刻しないように近道の急な坂を通り、通学、学校から、花園橋まで、スキーやそりで皆で滑った。
懐かしい、懐かしい鹿の谷小学校、もう、2度と見ることができないのですね。悲しいけど、夕張は生まれ変わろうとしているのですね。見せていただきありがとうございます。
父の勤め先だった、電力所の写真、感無量です。
Commented by ysnowy at 2011-10-25 12:07
さとさん
鹿の谷小学校はは廃校となった後も、10年ぐらい前までは「ふるさとギャラリー」として畠山さんの絵を展示していた時期もありました。その時は、校舎の使いみちとしてはいい考えだと思いました。しかし、その後ギャラリーも閉鎖され、荒れてしまいました。
もうないのは残念です。
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