巨幹残栄・岩倉炭鉱

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1998年撮影

宮城県の細倉鉱山の近くにあった亜炭のミニ炭鉱。
70代のベテラン炭鉱マン3人が採掘していた。
この近くでは亜炭の炭鉱がいくつかあった。そして、細倉鉱山が亜炭を使用していたという。
訪れた時は休坑状態だったが、坑内を案内してくれた。
北海道の伊藤炭鉱よりも小さく、当時現存していることが不思議なくらいの炭鉱だった。
採炭を再開したら撮影させていただくことになっていたが、水没した坑内の水が引かず、結局2000年に閉山してしまった。
アセチレンのカンテラを持ち入坑した思い出が残っている。
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by ysnowy | 2012-06-11 13:18 | 炭鉱 | Trackback | Comments(2)
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Commented by 猫おやじ at 2012-06-12 17:17 x
石炭でも亜炭は、あまり商品価値がなくて軍需用に採掘されていたとしか教えられていませんでしたが、小規模な炭鉱は全国に分布しているのですね。青梅にも東京炭鉱とか飯能にも武蔵野炭鉱とか。アセチレンランプは、なつかしいです。ガスの特有の匂いが今でも記憶にあります。秩父鉱山、加蘇鉱山を見学させていただいた東京オリンピックのころですから、もう50年近くも前です。五木寛之さんの新書「日記」に永末十四雄〔夫?〕さんの記述がありました。田川市史の担当者で、その博識ぶりに敬服したものです。石炭にまつわる人間の話は、聴いていて時を忘れました。後年NHK新書の著書に誤植が100本以上あって、そのことを、お知らせすると丁重なお礼状をいただきました。なつかしい思い出です。
Commented by ysnowy at 2012-06-12 19:01
猫おやじさん
「あまり商品価値がなくて軍需用に採掘されていたとしか・・」これはちょっと極端な話ですね。亜炭は無煙炭や瀝青炭と比較すればもちろん質はおとりますが、燃料として使われていました。山形県の新庄付近は80年代まで炭鉱が存在していました。青梅の東京炭鉱はバス停にその名が残っています。武蔵野炭鉱は泥炭を産しつしています。
田川の永末さんはあの山本作兵衛さんの炭坑画を上野英信とともに見いだした人物です。私も永末さんの著書は多くを読みました。今でも筑豊を知る上で重要な著書ばかりですね。

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