戦後72年・元ロシア人兵士の墓と陸軍墓地

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群馬県高崎市の龍廣寺には陸軍墓地がある。
明治から高崎には陸軍15連隊があり、日露戦争では旅順の164高地を多くの犠牲者を出し攻略させた。
その墓地の片隅に「元ロシア兵士の墓」がある。
日露戦争では7万人ものロシア人捕虜が出て、国内の29ヵ所の収容所に収容された。
高崎にも500名以上の捕虜が寺院などに収容されていた。
その中で傷病兵だった3人が亡くなりこの地に葬られた。
西洋式の墓には、十字架が刻まれロシア語で銘文が記されている。

ロシア兵の墓と陸軍墓地、先の大戦から72年が過ぎ平和な時代だからこそ、忘れてはならない存在であると思う。
高崎市の龍廣寺で写す。

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by ysnowy | 2017-09-01 11:44 | 近代建築・産業・土木遺産 | Trackback | Comments(2)
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Commented by 猫おやじ at 2017-09-03 08:23 x
ロシアの捕虜、7万人というのは膨大な数字で、おどろきました。明治のころで処遇も慣れていないようなのに、死没者に立派な墓碑を残すところは、日本人の誠意を感じます。愛読していた経済紙の朝の連載小説がエピローグ。「無色透明なウイスキーの原酒ができあがった」と文章にあるのに、さし絵は「琥珀色」。「嗚呼」となるところを「鳴呼」の誤植。整理部の役割は大きいのですね。いまや紙媒体も世代交代の危機。がんばってもらいたいものです。
Commented by ysnowy at 2017-09-03 17:41
> 猫おやじさん
私も7万人の捕虜には驚きました。亡くなった捕虜に対しても誠意を感じました。
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