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戦後72年・山中坂の悲劇(立川空襲)

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立川市富士見町4丁目に山中坂がある。
立川飛行場があった立川市はたびたび空襲を受けた。
この坂には防空壕があり近くの住人が避難していた。
1945年の4月4日午前1時、B29から投下された250キロ爆弾が防空壕の入口付近に落ち、子供32人を含む42人が犠牲となった。
山中坂の悲劇として知られ、防空壕のあった場所には戦災供養地蔵尊が建てられている。


by ysnowy | 2017-09-04 12:04 | 近代建築・産業・土木遺産 | Trackback | Comments(2)
Commented by 猫おやじ at 2017-09-04 17:31 x
「空襲」による犠牲者は、8月15日の敗戦の年に一番多いのだそうですが、4月の防空壕直撃も悲惨なできごとのひとつですね。3歳から15歳まで暮らした品川区小山では、家の近くに立派なコンクリート製の枠の坑道入り口があって、昭和30年当時、入り口には土にまみれた灰色のゴム製防毒面がたくさんありました。昭和20年、やはり爆弾の直撃を受けて壕内で20人以上のひとが亡くなったそうです。北朝鮮のミサイルの危険も現実のものになるようで、すこし心配しています。21世紀に世界核戦争など絵空事と思っていましたが、どうもそうでは、ないようです。
Commented by ysnowy at 2017-09-04 23:36
1945年の本土空襲、もう少し早く戦争が終わっていればこのような市民の犠牲はなかったことでしょう。北朝鮮の核兵器やミサイルの恐怖、72年前の悲劇が蘇ります。
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