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80年代夕張18・楓駅跡

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1982年・楓駅跡

70年代はキップブームだった。

「愛国から幸福へ」・「銭函」・「母恋」など、乗車券や入場券を収集したものだった。
夕張の「紅葉山から楓」のキップも人気があった。

石勝線の開通で紅葉山は新夕張となり、楓駅も新線にでき、旧駅舎と線路は廃止された。
82年、楓鉱を訪れた時は、旧駅舎と錆びた線路がまだ残っていた。
現在は、その時新しくなった楓駅さえも廃止となっている。

炭鉱が閉山すると駅もなくなる。
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by ysnowy | 2008-10-31 19:51 | 80年代夕張 | Trackback | Comments(0)

80年代夕張17・紅葉山駅跡

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1982年・紅葉山駅跡(現・新夕張駅)

1981年に石勝線が開通し、紅葉山駅は新夕張駅となった。

当時、新しくなった新夕張駅の下に旧紅葉山駅が現存していた。
線路は取り払われていたが、SL時代の給水塔、ホームや跨線橋などが残り、SL時代を思い出させてくれた。

SL時代、給水塔を入れて撮る、紅葉山の出発はあまりにも有名だった。
実は、夕張を最初に訪れたのは、中学生の頃SLを撮りに来た時だった。
給水塔は紅葉山駅のシンボル的存在で、久しぶりに見た時は、少年時代に帰った気分だった。
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by ysnowy | 2008-10-28 09:57 | 80年代夕張 | Trackback | Comments(2)

近代建築・小樽

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旧日本銀行小樽支店

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旧日本郵船小樽支店

旧日銀小樽支店は辰野金吾らの設計。
旧日本郵船小樽支店は佐立非七次郎の設計で、重要文化財。
辰野金吾とは現東大工学部の同期生だという。

小樽は、歩いているだけで楽しくなる町。
近代建築が好きな人にはたまらないところ。
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by ysnowy | 2008-10-25 09:38 | 近代建築・産業・土木遺産 | Trackback | Comments(1)

築別炭鉱・太陽小円形体育館

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太陽小円形体育館

築別炭鉱の閉山後、太陽小は宿泊施設として利用されていました。
私も以前に泊まったことがあります。
その時、体育館を見たときは驚きました。

現在、宿泊施設は閉鎖され、巨大な廃墟となって残っています。
しかし、円形の体育館は多少は傷んできましたが、その堂々たる容姿は感動ものでした。
本当に美しい建築です。

このまま朽ちていくのが惜しまれます。
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by ysnowy | 2008-10-23 22:46 | 炭鉱 | Trackback | Comments(4)

80年代夕張16 ・北炭夕張新炭鉱のそば屋

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1982年・夕張新炭鉱

新鉱の繰込所には、そば屋があった。
炭鉱マンたちは、坑内から上がってくると、時には黒い顔のままで、さっそく腹ごしらえをしていた。
私もよく食べた。安くて、汁が濃かった。
今となってはなつかしい味だ。

炭鉱マンで賑わう繰込所は、祭壇の線香のにおい、汗のにおい、そして、そば屋のにおいが入り混じっていて、なんともいえない所だった。
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by ysnowy | 2008-10-21 09:41 | 80年代夕張 | Trackback | Comments(0)

夕張20・夕張新炭鉱

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2008年10月16日、夕張新炭鉱竪坑跡

新鉱の事故から27年がたった。
竪坑周辺の紅葉は、事故の時と同じように今年は色鮮やかだった。

ここ数年、ある元炭鉱マンと竪坑跡を訪れている。
その人は、事故当日、怪我をしていて坑外労働をしていた。
「怪我をしていなかったら、今頃は慰霊碑に名前が刻まれていた」と言う。
だから、毎年竪坑跡に花を供えに来る。
自分の代わりに多くの仲間が犠牲になったからだ。

しかし、「最近は足腰が弱った」と言う。
「今年がもう最後かもしれない」とつぶやいた。
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by ysnowy | 2008-10-17 01:07 | 夕張 | Trackback | Comments(0)

80年代夕張15・夕張新炭鉱・祭壇

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1982年3月・夕張新炭鉱


1981年の大事故から半年近くたっても、まだすべての犠牲者は収容されていなかった。
炭鉱の繰込所には祭壇が設けられ、炭鉱マンたちは、入坑前や坑内から上がってきた後に祭壇に手を合わせていた。
最後の犠牲者が収容されたのは、事故以来なんと163日ぶりのことだった。

もうすぐ10月16日、新鉱事故の日。
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by ysnowy | 2008-10-11 11:52 | 80年代夕張 | Trackback | Comments(2)

80年代夕張14・北炭夕張新炭鉱・人車

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1982年・北炭夕張新鉱通洞人車

初めて新鉱に行った時は、人車があることは知らず、沼ノ沢駅から道に迷いながら雪の中を歩いて行った。
途中で会った人に聞いたら「人車があるよ」と言われた。
「人車って何?」炭鉱にたどり着くまでは解らなかった。
当時、多くの炭鉱マンは人車で通っていた。
下請けの炭鉱マンたちは、マイクロバスに乗り、炭鉱の事務所まで来ていた。

私が歩いた道は、炭鉱までの一本道で、今でも現存している。
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by ysnowy | 2008-10-09 10:02 | 80年代夕張 | Trackback | Comments(0)

80年代夕張13・北炭夕張新炭鉱

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1982年・北炭夕張新鉱(通洞西口)

長さ1174メートルの通洞を越えると、新鉱の事務所と赤い竪坑ヤグラがそびえたっていた。
通洞内には人車(トロッコ)が走っていて、それに乗ると5分くらいでたどり着いたと思う。
時には乗り遅れて、20分くらいかけて通洞を歩いた事もあった。
通洞内はひんやりしていて、人車に乗った炭鉱マンたちはみな無口だった。
今考えてみると、人車の音がうるさくて会話もできなかったのだと思う。
人車に乗ると「これから炭鉱に行くんだ」と言う気持になった。

通洞入り口は今も現存している。
中には入れないが、近寄ると当時を思い出す。
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by ysnowy | 2008-10-07 11:38 | 80年代夕張 | Trackback | Comments(0)

夕張19・湖底の風景

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夕張・シューパロ湖

シューパロ湖の水位が下がるこの時期は、湖底に巨大な切り株が現れます。
しかし、現在シューパロダムを建設中で、ダムができると完全に湖底に沈んでしまい、何年か経つともう見ることができなくなるでしょう。

この荒涼とした風景は、炭鉱の風景とまた違った趣があります。
ここもまさしく夕張なのです。
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by ysnowy | 2008-10-03 20:53 | 夕張 | Trackback | Comments(0)