<   2009年 02月 ( 14 )   > この月の画像一覧

日常・もう春

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昨日は雪でしたが、着実に春は近づいています。
家の近所で土筆を見つけました。
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by ysnowy | 2009-02-28 21:14 | 日常 | Trackback | Comments(0)

雄別炭鉱

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雄別炭鉱は、1970年(昭和45)に閉山。

今回、偶然にもヘルメットを見つけた。
閉山から40年近くここにずっとあったのかは解らないが、年代物であることは確かだ。

人はいなくても、人の存在感を感じた。
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by ysnowy | 2009-02-26 16:47 | 炭鉱 | Trackback | Comments(0)

80年代夕張34・若菜小学校

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1982年・若菜小学校

木造校舎と元気な子供たち。

今と違って、夕張にはこんなにたくさんの子供たちがいました。
四半世紀前のネガには多くの子供たちの姿が写っています。

若菜小学校は、廃校となった若菜東小学校と統合され、現在は若菜中央小学校となっています。
写真の木造校舎は鉄筋の新校舎となりました。
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by ysnowy | 2009-02-25 11:25 | 80年代夕張 | Trackback | Comments(0)

SNOWY

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神戸での写真展「SNOWY」もあと一週間(3月1日まで)。
今まで多くの人に見に来ていただきたいへん感謝しています。
ありがとうございました。

神戸市中央区栄町通2-1-3謙昌ビル3F  「TANTO TEMPO」
http://tantotempo.jp/contents/index.html
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by ysnowy | 2009-02-23 08:11 | SNOWY | Trackback | Comments(2)

巨幹残栄6・長生炭鉱

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長生炭鉱(山口県宇部市)

1942年(昭和17)2月3日、海底の坑道が水没する事故で183人が犠牲になった。
その内134人が朝鮮半島出身者だった。
炭鉱はそのまま廃鉱となり犠牲者は未だ海底に残されたままだ。

海上には、2本のピーヤ(排気坑)が墓標のごとく立っている。
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by ysnowy | 2009-02-20 20:12 | 炭鉱 | Trackback | Comments(0)

神戸・近代建築

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兵庫県公館

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兵庫県公館

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商船三井ビル

神戸には数多くの名建築が現存している。
歩いていて楽しい町だ。
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by ysnowy | 2009-02-18 09:20 | 近代建築・産業・土木遺産 | Trackback | Comments(0)

本岐炭鉱

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本岐炭鉱

明治鉱業が、昭和13年に買収。
本岐炭鉱の石炭は専用軌道で庶路炭鉱の選炭機まで運ばれていた。
庶路炭鉱は昭和35年にガス爆発事故を起こし38年に閉山。
そして、本岐鉱も43年に閉山した。
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by ysnowy | 2009-02-16 09:07 | 炭鉱 | Trackback | Comments(0)

本岐炭鉱

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本岐炭鉱

雪の炭鉱跡は、行ってみないとどんな写真が撮れるか解らない。
ここには何度となく訪れたが、今回は驚かされた。

だからまた行きたくなります。
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by ysnowy | 2009-02-13 08:24 | 炭鉱 | Trackback | Comments(0)

本岐炭鉱・ズリ山

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本岐炭鉱・ズリ山(白糠町)

炭鉱の象徴、ズリ山(西日本ではボタ山)。

本岐炭鉱のズリ山は、ほぼ原形を保っている。
特に雪のズリ山は美しい。
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by ysnowy | 2009-02-11 16:45 | 炭鉱 | Trackback | Comments(0)

80年代夕張33・社光浴場3

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1984年・社光

社光の浴場は丸くお湯は茶色く濁っていた。
白い手ぬぐいも、お湯につけるとすぐに茶色くなった。
「風呂釜が年代物で、さびているから濁ったお湯なんだ」と知り合いの炭鉱マンは教えてくれた。しかし、それがまたよかった。
古いが、そこにはより良き頃の炭鉱の面影があった。

茶色の湯の社光浴場も、80年代後半には新しい浴場に建て替えられた。
そして、数年前に社光の炭住の解体と共に浴場もなくなった。
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by ysnowy | 2009-02-10 20:42 | 80年代夕張 | Trackback | Comments(0)