80年代夕張16 ・北炭夕張新炭鉱のそば屋

f0173596_926965.jpg

1982年・夕張新炭鉱

新鉱の繰込所には、そば屋があった。
炭鉱マンたちは、坑内から上がってくると、時には黒い顔のままで、さっそく腹ごしらえをしていた。
私もよく食べた。安くて、汁が濃かった。
今となってはなつかしい味だ。

炭鉱マンで賑わう繰込所は、祭壇の線香のにおい、汗のにおい、そして、そば屋のにおいが入り混じっていて、なんともいえない所だった。
[PR]
# by ysnowy | 2008-10-21 09:41 | 80年代夕張 | Trackback | Comments(0)

夕張20・夕張新炭鉱

f0173596_0354656.jpg

2008年10月16日、夕張新炭鉱竪坑跡

新鉱の事故から27年がたった。
竪坑周辺の紅葉は、事故の時と同じように今年は色鮮やかだった。

ここ数年、ある元炭鉱マンと竪坑跡を訪れている。
その人は、事故当日、怪我をしていて坑外労働をしていた。
「怪我をしていなかったら、今頃は慰霊碑に名前が刻まれていた」と言う。
だから、毎年竪坑跡に花を供えに来る。
自分の代わりに多くの仲間が犠牲になったからだ。

しかし、「最近は足腰が弱った」と言う。
「今年がもう最後かもしれない」とつぶやいた。
[PR]
# by ysnowy | 2008-10-17 01:07 | 夕張 | Trackback | Comments(0)

80年代夕張15・夕張新炭鉱・祭壇

f0173596_11505111.jpg

1982年3月・夕張新炭鉱


1981年の大事故から半年近くたっても、まだすべての犠牲者は収容されていなかった。
炭鉱の繰込所には祭壇が設けられ、炭鉱マンたちは、入坑前や坑内から上がってきた後に祭壇に手を合わせていた。
最後の犠牲者が収容されたのは、事故以来なんと163日ぶりのことだった。

もうすぐ10月16日、新鉱事故の日。
[PR]
# by ysnowy | 2008-10-11 11:52 | 80年代夕張 | Trackback | Comments(2)

80年代夕張14・北炭夕張新炭鉱・人車

f0173596_9282211.jpg

1982年・北炭夕張新鉱通洞人車

初めて新鉱に行った時は、人車があることは知らず、沼ノ沢駅から道に迷いながら雪の中を歩いて行った。
途中で会った人に聞いたら「人車があるよ」と言われた。
「人車って何?」炭鉱にたどり着くまでは解らなかった。
当時、多くの炭鉱マンは人車で通っていた。
下請けの炭鉱マンたちは、マイクロバスに乗り、炭鉱の事務所まで来ていた。

私が歩いた道は、炭鉱までの一本道で、今でも現存している。
[PR]
# by ysnowy | 2008-10-09 10:02 | 80年代夕張 | Trackback | Comments(0)

80年代夕張13・北炭夕張新炭鉱

f0173596_10542988.jpg

1982年・北炭夕張新鉱(通洞西口)

長さ1174メートルの通洞を越えると、新鉱の事務所と赤い竪坑ヤグラがそびえたっていた。
通洞内には人車(トロッコ)が走っていて、それに乗ると5分くらいでたどり着いたと思う。
時には乗り遅れて、20分くらいかけて通洞を歩いた事もあった。
通洞内はひんやりしていて、人車に乗った炭鉱マンたちはみな無口だった。
今考えてみると、人車の音がうるさくて会話もできなかったのだと思う。
人車に乗ると「これから炭鉱に行くんだ」と言う気持になった。

通洞入り口は今も現存している。
中には入れないが、近寄ると当時を思い出す。
[PR]
# by ysnowy | 2008-10-07 11:38 | 80年代夕張 | Trackback | Comments(0)