夕張76・職員社宅の解体

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解体された三菱・南大夕張炭鉱の職員社宅。
炭鉱が閉山するとよく見られた光景。

何度見ても寂しい。
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by ysnowy | 2010-12-10 10:50 | 夕張 | Trackback | Comments(4)
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Commented by 猫おやじ at 2010-12-10 11:53 x
別に有名建築家の作品でなくても、歴史的建造物ってあっていいと思います。秩父鉱山の人も「生活遺産」なんだけどって、いってました。鉄道は結構、古い物が大切にされてるけど、普通の企業では、すぐスクラップ・&・ビルドです。活版印刷の終焉のころ立川市錦町の勤務先の印刷所から岩波書店と親しい青梅市の精興社のひとたちが活版の機械をもってゆきましたが、あれから20年、活版印刷は、もはや伝統工芸となりました。銀塩写真も、その領域に入ってますね。さて、三菱の建物を住友重機のパワーショベルが破壊する、なんて皮肉ですね。写真はいろいろなことを教えてくれます。
Commented by ysnowy at 2010-12-13 18:36
猫おやじさん
銀塩写真は伝統工芸?、そのうちプリンターの人間国宝もでるかも知れませんね。(笑)
三菱の社宅が住友の重機によって解体される。
偶然とはいえ面白い写真なりました。
Commented by mo at 2018-07-31 11:09 x
これは、若美町の社宅ですね。

昭和から平成に至る時期でしたが、
鉱員・職員を問わず、住宅の呼び名はどこも「社宅」でした。
「炭住」なんて言葉はずっと後になってから知りました。そう、少なくとも末期の南大夕張では誰も使っていなかったのです。

賃金は鉱員の方がよかったが
社会的地位は職員の方がずっと上でした。
だからこの社宅にも各戸、下町(鉱員の住むところ)にはない
浴室が備え付けられていましたし
上町(若美町)の入り口正面には職員専用のテニスコートまであったと記憶しています。
当然どれも今となっては更地ですが。
Commented by ysnowy at 2018-07-31 12:53
ここの社宅は別格でしたね。炭住とは炭鉱の社宅を略して呼んだ呼んだものだと思います。業界用語の様なものです。
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