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80年代夕張71・炭住解体

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現在、私の住む東京・多摩地方では雪が激しく降っている。
明日の朝は凄い事になりそうだ。
1983年の夕張市社光では、雪の重みで潰れた炭住が解体され、石炭の代わりにマキとして使われた。
春、雪が溶けると屋根のトタンだけが炭住のあったところに転がっていた。
by ysnowy | 2011-02-14 20:37 | 80年代夕張 | Trackback | Comments(9)
Commented by tosha at 2011-02-15 10:33
昨年に別子銅山を見ましたが、資料館に生活風景の写真がありました。 厳しい場所ですが、住んでいる人の笑顔が印象的でした。 撮る事って素晴らしいなと。
Commented by 猫おやじ at 2011-02-15 15:36
ギャラリートークの萩原さんの締めのコメントが印象的でした。やはり史料であり文化資産ですよね。MじまさんやWなべさんも、それなりに大変とは思いますけど、なにか、ふっきれません。さて、トタンを集めてる男、そばにいる子供。なにを考えてるのかな。時間の「間」が、やけに気になります。
Commented by ysnowy at 2011-02-15 18:36
toshaさん
なんでもない写真が年月が経てば貴重な記録となります。
そうです。撮る事はすばらしいことです。
神戸での写真展、2月20日は午後からTANTOTEMPOにいる予定です。
Commented by ysnowy at 2011-02-15 18:47
猫おやじさん
写真は、忠実に記録でき、すべてではないが芸術性も伴う。
たった1枚の写真であろうとも・・。
こんなおもしろいものはありません。
私が勝手に思っていますが。
Commented by 猫おやじ at 2011-02-15 20:00
芸術性って大事です。36度の日、にゃん活中、朝日の記者がずっと〔2時間くらい〕銀座4丁目の交差点とあるいてくる人を狙ってました。36度の表示と汗をふきながら歩く人を待っているそうです。結局その2つがファインダーに入ることはなく、4時ごろ去りました。翌日の紙面には東京駅で背広を小脇にかかえ汗をぬぐいながら歩くサラリーマンの姿がありました。おおむかし広岡社長の首をとばしたカメラマンがいました。珊瑚に落書きして八百長したのです。つとめていた会社で深川八幡宮祭礼の彼の手になる大写真集を出したのですが、事件から1年もたってませんでした。芸術性は大切ですが、よくない恣意〔意図〕は、許せませんね。
Commented by 猫おやじ at 2011-02-15 20:11
さっきのコメントで広岡社長と書きましたが一柳社長でした。ごめんなさい。
Commented by ysnowy at 2011-02-15 23:22
猫おやじさん
あの珊瑚事件はよく覚えています。
同業者として衝撃でした。
Commented by 文子 at 2011-02-26 00:00
私の中の夕張は、60年代、そして70年代の熟れ果て、翳りかけた夕張の風景です。
二度と戻ることはありませんでしたが、
幼い頃に刻まれた記憶は、どうしてなんでしょうか、全く消えることなく、生々しく残っています。
Commented by ysnowy at 2011-02-26 11:34
文子さん
子供の頃の記憶はいつまでも残りますね。
また、一枚の写真が新たな記憶を蘇えられる事もあるのではと思います。
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