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宮古のC10復活(1987年)

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1987年7月19日に、かつてラサ工業で走っていたC10が復活した。
写真は宮古港までの貨物線(SLリアス線)を走るC10。
このとき、たまたま釜石や宮古を撮影で訪れていて写したものだ。
先日の東日本大震災では宮古は大きな被害を受けた。
写真に写っている堤防を、まっ黒な津波が越えていった。
以前SLがのんびり走っていことが嘘のようだった。
by ysnowy | 2011-04-20 22:49 | 日常 | Trackback | Comments(2)
Commented by 猫おやじ at 2011-04-21 17:30 x
C10は、レアな機関車ですね。ラサ工業の田老鉱山から宮古港まで、重い鉱石を運んでくれて、いまは駿河の茶畑を快走してくれてるようですね。秩父鉄道にも観光機関車が走ってますが、往復100kmで石炭1トン、水8トンを消費するそうです。でも放射性物質の拡散の心配がないので安心です。中学生までは汽車が、あたりまえに運転されていて、トンネルに入る、直前、かならず警笛吹鳴がありました。冷房がわりに窓をあけておくと、ガラが眼にくいこんだものです。原子炉事故報道、新聞社の立ち位置が、よくわかります。雑誌も護国寺と竹橋、麹町と神楽坂の対決。マイナーながら現場主義の東五軒町と旧西新橋の週刊誌。毎週たのしみです。でも夕刊フジの3面は毎晩みてます。「北風のなかに、待とうよ・・・・」って。災害基本法の適用が、いまやっと。実効性喪失ですね。宮古の人たちは、うのすまいの悲劇からたちなおれるのでしょうか。気仙沼の津波予想地域限界の国道表示、ほとんど正解だったそうです。地元、本吉町のひとも感心してました。原発周辺地域にも、今後は、こうした限界表示が必須ですね。
Commented by ysnowy at 2011-04-21 20:08
猫おやじさん
C10は、ラサ工業の宮古工場の専用線を走っていました。
報道の立ち位置は興味深く見ています。
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