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朝日炭鉱の炭住街

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岩見沢市の朝日炭鉱は1974年に閉山した中小炭鉱。
しかし、かつての炭鉱病院や保育園などがあり、炭鉱町の面影が残っている。
古くなったブロックの炭住や二階建ての炭住などは、北炭や三菱などの大手炭鉱とはまた違った趣のある炭住だ。しかも、そこには閉山後も人が住んでおり生活感がある。
1980年代の頃、上美流渡の伊藤炭鉱には撮影にいったが、朝日炭鉱周辺は素通りしていた。
今から思うと残念な気がする。
by ysnowy | 2012-10-24 12:20 | 炭鉱 | Trackback | Comments(4)
Commented by 猫おやじ at 2012-10-25 09:53 x
炭住にも人の影。やはり写真に生活感がでて、癒されますね。雪囲いの立て付けの木の味が、冬の厳しさを思い知らされます。銀座で「にゃん活」中、2人連れの。ご婦人が2枚の1000円札を「にゃんこのえさ代」にとか。「お金は、気持ちだけで結構」とことわると、三越さんの高級干物を4枚も・・・。ありがたく頂戴したけど、干物は地域猫さんしか召し上がらないのです。
先日、御殿場の郊外の神社の祭礼で岩波歌う理恵さんの応援に。夕方4時、まったく人通りのない住宅街に、冷たい雨。炭住の写真のような人影が、とても欲しい思いをしました。
Commented by ヤリタミサコ at 2012-10-26 19:12 x
朝日炭鉱は中小だったため、町全体が全員顔見知り、全員が家族みたいでした。家に鍵などかけたことはないし、もしかしたら、鍵さえもかからないうちも多かったと思います。
だから、今回萩原さんが撮ってくださった写真から、その家に住んでいた人のことを、思い出すことができます。

また岩見沢市内に比較的近いから、夕張や近郊の炭鉱閉山後、
住むところに困った高齢の人たちが、100万円くらいで、朝日炭鉱の
住宅を買い取って住み着いたという例もあります。

大手の炭鉱のはざまには、このような中小の炭鉱も多々ありました。
すでに歴史の時間の中に埋もれつつありますが。


Commented by ysnowy at 2012-10-28 23:15
猫おやじさん
3人の人に話しかけながら炭住街を歩いてきました。
ある人は、日曹炭鉱、羽幌炭鉱、万字炭鉱とヤマを渡ってきたそうです。話を聞いているだけで興味がわきました。
Commented by ysnowy at 2012-10-28 23:23
ヤリタさま
閉山しても炭鉱街の形態がよく残っている所ですね。
コンパクトな町に、病院や保育園も在り、生活しやすい感じの所でした。
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