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油田の3坑夫像・軍需生産美術推進隊

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長岡市で

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新潟市秋葉区で、

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出雲崎町・出雲崎石油記念館で

昭和19年に軍需生産美術推進隊が、慰問・奨励のために新潟の油田に建てた坑夫の像を見てきた。
現在、軍需生産美術推進隊が制作したと思われる坑夫像は全国で11体が確認されている。
レプリカも含めて9体が残っていて、その3体は新潟の油田にあり、しかもオリジナルが残っている。
残りの6体は夕張、上砂川、芦別、いわきの常磐そして好間、九州は日炭高松にあり、以前に撮影した。
昨年、旧新津市(新潟市秋葉区)の山中にセメント製の像がみっかった。
ここはかつてのて油田の跡で、像は壊れかかった事務所の近くに建っていた。
セメントがはがれるなど痛んでいるが、その堂々たる容姿は戦後70年近くたつが変わらない。
戦時中の美術作品として保存されることが望ましいと思う。
油田の3体の坑夫像のなかで長岡の旧東山油田の像はキャップランプをつけ、まるで炭鉱の様だ。
これは、ここの油田は珍しい坑内掘りの油田だったからだと思う。
見比べるといろんなことが見えて来て興味はつきない。
9体の坑夫の像の写真は、この夏の丸木美術館での山本作兵衛展の時に展示する予定。
http://www.aya.or.jp/~marukimsn/kikaku/2013/2013sakube.html(丸木美術館)
by ysnowy | 2013-05-24 15:55 | 鉱山 | Trackback | Comments(4)
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Commented by 猫おやじ at 2013-05-25 19:49 x
セメント像というのが、資材逼迫の時代の情勢を示していますね。航空公園にも「少年飛行兵の像」がセメント像で、ひっそり木陰に佇んでいます。米軍から基地が返還され、公園に造成された当時は横倒しになって、打ち捨てられていましたが、修復され「健児の塔」となりました。おぼろげな記憶では、原型は、戦闘的な像だったのが、すっかり温順になってしまいました。戦前、大きな神社に必ず屹立していた「招魂碑」が戦後「平和の碑」となったのと同じようです。子供部屋で断捨離をしていると「20歳れ!」〔祥伝社〕という素人さんの裸の写真集が・・。日芸の女子学生さんたちの小品ですが、ねこと一緒に長女の裸身があって、大慌て。当時19歳の彼女にしては、ずいぶん思い切ったことを、していただいたもの。できれば「こんなの、あるよ」と嫁ぐまえに一言ほしかったにゃあ。
Commented by ysnowy at 2013-05-25 22:44
猫おやじさん
そうです。セメントの像は戦時中の材料がなかった頃をあらわしていますね。航空公園の像、今度みたいですね。
Commented by 猫おやじ at 2013-06-10 00:27 x
6月9日の日経最終面、山本さんの紹介記事が掲載されていました。講談社の本をすすめられていましたが、葦書房のものが決定版と思うのですが。同じ紙面の「私の履歴書」の写真、どうして、こんなにも映画のスチールのような素晴らしいものが、あるのか不思議でなりませんにゃ。
Commented by ysnowy at 2013-06-10 23:51
猫おやじさん
私も同感で、葦書房のものが決定版だと思います。
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