人気ブログランキング | 話題のタグを見る

小野田炭鉱・紙屋根炭住の記憶

小野田炭鉱・紙屋根炭住の記憶_f0173596_16114915.jpg

2013年1月
小野田炭鉱・紙屋根炭住の記憶_f0173596_16122298.jpg

2013年3月
小野田炭鉱・紙屋根炭住の記憶_f0173596_16124882.jpg

2013年9月   いずれもいわき市の小野田炭鉱で

解体された炭住街。
この小高い丘から見る風景がすきだった。
かつて、この辺りが小野田炭鉱の中心で賑やかだったという。
近くには幼稚園もあって「子供たちの歓声が聞こえた」と地元の人から聞いた。
今年の3月までは炭住が存在したが、現在は草が生え痕跡も消えようとしている。
やがて人々の記憶からも忘れ去られてしまうだろう。
by ysnowy | 2013-10-29 16:22 | 常磐 | Trackback | Comments(4)
Commented by 猫おやじ at 2013-10-31 11:15 x
重機が入ると、あっという間に木造家屋は、スクラップになってしまいます。住む人もなく、あとは荒涼たる平地。家のまわりも、築40年の家屋が次々に消えて、駐車場になったり、広い敷地に、たくさんの戸建てが並ぼうとしています。住んで30年。建物にも住む人にも加齢現象は、遠慮ありません。
Commented by ysnowy at 2013-10-31 14:04
猫おやじさん
このような炭住は30年ほど前でしたら、重機であっという間に壊されていました。今は分別回収をしなくれはならないので時間がかかると、解体業者は言っていました。都会は後に家が建ちますが、ここは自然に還るだけです。
Commented by 猫おやじ at 2013-11-02 04:38 x
にゃん活をしていると、いろいろな人に「ねこ新聞」を差し上げます。ーー愛猫家、メディア、警察の人、警備の人。他愛のないものですが威力は、絶大。文章は効果があるのです。園遊会の手紙、大騒ぎになっていますが、昭和天皇に昭和2年に手紙を渡した陸軍2等兵、37年後の園遊会で、現天皇の質問に「あなたのお父様に直訴したことがあります」。大騒ぎする理由がわかりません。
Commented by ysnowy at 2013-11-02 09:44
猫おやじさん
一部の人たちに煙たいと思われている人が、相手に付け込まれるようなことを行うのはいかがなものでしょうか。でもリスクを負っても福島の現状を知ってもらいたかったからでしょう。いやな世の中になってきましたね。
<< 夕張141・友子の墓(真谷地墓地) 夕張140・夕張炭鉱一番坑(千歳坑) >>